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東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)25号 判決 1977年3月29日

原告 黄清雲

被告 国

訴訟代理人 渡辺等 桜井卓哉

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告が日本国籍を有することを確認する。

2  被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年四月四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

主文と同旨の判決

第二請求の原因

一  原告は大正九年八月二〇日、当時日本領土であつた台湾新竹州に日本国民を両親として出生することにより日本国籍を取得した者であり、出生時からいわゆる台湾戸籍に登載された者である。

二  原告は右のとおり日本国籍を有する者であるところ、被告は、後記のとおり、昭和二七年に締結された日本国との平和条約(以下「対日平和条約」という。)又は日本国と中華民国との間の平和条約(以下「日華平和条約」という。)のいずれかにより原告の日本国籍は失われたとし、原告が現に日本国籍を有することを争うので、原告はその確認を求める。

三  損害賠償請求

1  原告は昭和九年出生地で公学校を卒業後同一六年から終戦に至るまで日本軍軍属として南支及び中支において通訳の職務に従事したが、終戦後帰台してからは戦争中日本軍に協力したとして迫害を受け、炭坑夫、店員、日傭人夫等の仕事を転々としなければならない立場に追い込まれるなど種々の苦痛を味わつた。

2  そこで、原告は昭和四七年及び同四八年に各来日のうえ日本国籍の確認を求める等の活動を行つたが奏効せず、さらに昭和四九年一二月四日来日し日本に永住しようとしたが、日本国籍を有しないとの理由で在留期間延長を拒否され、いつ台湾に送還されるやも知れない状態にある。

3  被告は原告が日本国籍を有するにもかかわらずこれを認めず、その結果原告は日本に在留し日本国内において生活の資を得る途を閉ざされ、日本国民としての各種権利行使、利便の供与を断たれているほか前記の台湾における苦しい生活や渡航を余儀なくされるなど辛酸を味わわされ多大の精神的損害を被つており、右損害を慰謝するのには金一〇〇万円をもつてするのが相当である。

よつて、原告は被告に対し損害賠償の請求として金一〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五〇年四月四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の認否及び主張

一  請求の原因一の事実のうち、原告がその主張の日に台湾で日本国民を両親として出生したことは知らない。同二のうち原告が日本国籍を有するとの主張は争う。同三の1の事実は知らない。同三の2の事実のうち、原告がその主張の来日及び日本国籍の確認を求める等の活動をしたことは知らない。同三の3は争う。

二  被告の主張

1  日本は日清講和条約によつて台湾及び澎湖諸島(以下「台湾等」という。)を領有し、台湾等の住民は日本国籍を取得した。しかし、昭和二七年四月二八日発効した対日平和条約第二条(b)は「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しており、同条項によつて日本は台湾等に対する領土権一切を放棄したもので、同日台湾等は日本の領有から分離した。

2  対日平和条約には領度変更に伴う国籍の変動について明文の規定は存しないが、カイロ宣言及びポツダム宣言第八項の趣旨並びに日本がポツダム宣言を受諾して降伏したことを併せ考えると、同条約第二条(b)の趣旨は台湾等を日本領有前の状態に回復させることにあると解すべきであるから、もし日本が台湾等を領有しなかつたならば日本国籍を取得せず、中華民国の国籍を保有したであろうすべての者、すなわち日本が台湾等を領有した結果日本国籍を取得するに至つた者及びその子孫等でいわゆる台湾戸籍に登載されていた者(以下「台湾人」という。)は、内地に在住していた者を含めてすべて同条約による領土割譲に伴い、同条約発効の日である昭和二七年四月二八日に日本国籍を喪失したものというべきである。

3  中華民国は対日平和条約の署名国ではないが、同条約は署名国を含む連合国に対する関係において効力を有するものであり、日本が台湾等に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことは、その権利を何国が取得したかを問わず署名国を含む連合国に対して有効であつて、中華民国が同条約に署名したか否かには関係がない。したがつて、前記のとおり台湾人は同条約によつて日本国籍を喪失したものと解すべきであり、その結果台湾人がいずれの国の国籍を取得するかは日本の関知しないところである。

4  日華平和条約は昭和二七年四月二八日日本国及び中華民国の代表によつて署名調印され、同年七月五日国会の承認を受け、同年八月五日公布されたものであるが、同条約は対日平和条約第二六条の規定に基づいて対日平和条約に定めるところと同一又は実質的に同一の条件で締結されたものであつて、その再確認的な意味を有するものである。そして、日華平和条約第二条は対日平和条約第二条(b)に規定された領土の変更を中華民国との関係で確認しているが、領土変更に伴う国籍の変動については明文の規定はなく、この点については前記2の対日平和条約の場合と同様に解すべきものである。

5  日華平和条約は日中国交正常化に伴い将来に向かつて終了し、現在においては効力を有しないが、日中国交正常化前においては有効に存続していたのであるから、その間に同条約によつて生じた既往の効果は、日中国交正常化以後においても消滅するものではない。

6  以上のとおり、台湾人は対日平和条約発効の日(昭和二七年四月二八日)に日本国籍を喪失したものというべきであり、仮にそうでないとしても日華平和条約発効の日(同年八月五日)に日本国籍を喪失したものというべきであるから、日本国籍を有することの確認を求める原告の請求は失当であり、また、日本国籍を有することを前提とする損害賠償請求も失当といわねばならない。

第四被告の主張に対する原告の反論

一  国籍非強制の原則からして、原告は日本国籍を有する。

国籍の変更は個人の自由意思に従うべきであり何人も自己の意思に基づかないで現に有する国籍を変更されることはないといういわゆる国籍非強制の原則は確立した国際慣習法である。また、世界人権宣言第一五条は、何人も専断的にその国籍を奪われることはない旨規定するが、この規定は領土変更と割譲地住民の国籍とは必然的な関連をもたないこと、すなわち領土変更があつても当該住民の個々の同意のないかぎりその国籍は変更されないという意味に解釈されるべきであり、少なくとも領土変更の場合に当該住民はその希望する国籍を選択する機会を与えられることなく国籍を変更されないとの趣旨を含むものである。したがつて、国家が国民に対し国籍変更の同意を求めるか国籍選択の機会を付与することなく一方的にその国籍を変更することは不可能といわねばならない。

仮に国籍非強制の原則ないし国籍選択制度が国際法上確立した慣習法とはいえないとしても、わが国が明治以来締結した領土変更を伴う条約にはすべて国籍選択制度が採用されているから、少なくともわが国が締結した領土変更を伴う条約をわが国において解釈する場合には国籍選択制度を前提として考えるべきで、これはわが国の国際条約の解釈に関して確立した慣習法というべきである。

ところで、原告は第二次大戦終結から今日に至るまで国籍の変更について被告から同意を求められたことはもちろん国籍選択の機会を与えられたこともないから、国籍変更に関する国際条約の有無にかかわらず、原告の国籍が変更されることはなく現在においても日本国籍を有するものである。

二  対日平和条約と国籍変更について

1  条約は締結当事国の間で効力を生じ、その間の法律関係を規制する効力を有するにすぎないところ、中華民国は対日平和条約の当事国となつていないし、右条約で台湾等の領土権を放棄しているが、それをいずれの国に譲るかは規定していないから、その放棄の意味は中間的なものであり(この点同条約第二条(c)で放棄した北方領土と同様である。)、このような条約により原告の国籍が変動したと解することはできない。けだし、右条約により台湾等の住民の国籍が変動したとすれば、台湾等の帰属が未定である以上、住民は無国籍となつたといわねばならないが、現在の国際社会は無国籍者の発生を歓迎するものではいこと、またわが国籍法が国籍の喪失は他国籍の取得を当然の前提としていることなどからして、右の考え方は到底首肯し得ないし、対日平和条約は世界人権宣言に内容的に拘束されるところ、国籍喪失につき無国籍にならないことを要件として定めたものと解される世界人権宣言第一五条の規定にも違反する(被告も北方領土地域の住民については、右条約により国籍が変動したとは解していない。)。

2  対日平和条約第二条(b)は、領土権の放棄のみの規定で、同条約中には国籍変更に関する明文の規定がないところ、条約に国籍変更の明文の規定がない場合、領土割譲国が住民の国籍を奪う権利がないという意味での国籍非強制の原則は、確立した国際慣習法であるから、この点からも、対日平和条約は原告の国籍変更の根拠たり得ない。

3  対日平和条約を内容的に拘束する世界人権宣言第一五条は、国籍の喪失につき、形式的要件として国内法上の明文の規定による正規の手続によつて行われること、また実質的要件として国籍喪失により無国籍者とならないこと及び喪失が本人の意思によらないときはそれなりの公益上の必要がある場合であることを定めたものと解せられるところ、対日平和条約によつて原告が日本国籍を喪失したとすれば、右いずれの要件をもそなえていないこととなるから、右条約によつて日本国籍を喪失したとする被告の主張は失当である。

三  日華平和条約と国籍変更について

1  日華平和条約は中華民国の蒋政権を相手として締結されたものであるが、当時の蒋政権はその支配領域等からして一国を代表する正統政府とはいえず、平和条約締結の当事者たる資格を有しなかつたから、同条約は無効である。

2  また、同条約第一〇条は、台湾等の住民等で中華民国の法令によつて中国の国籍を有するものを中華民国の国民とみなす旨規定するが、これは台湾等につき中華民国以外に権利主張国があつたことなどから、その帰属を条約において明確にしえなかつたことに関連して置かれた適用上のみなし規定にとどまり、この条約を越えて一般的に台湾人の国籍に変動を与えるものではない。同条約第六条(b)は両国は国際連合憲章の原則に従つて協力する旨規定しているから、国連総会で採択された世界人権宣言第一五条に照らし、右第一〇条は自ら中華民国の国籍取得を欲した者についてのみ適用でき、その希望を表明しない者に対しては効力がないと解すべきである。

四  日華平和条約失効と国籍について

仮に日華平和条約により原告の国籍が有効に変更されたとしても、昭和四七年九月二九日「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(以下「日中共同声明」という。)が署名された。右による日中国交正常化は、日本国が中華民国政府の中国代表権を否認し、中華人民共和国政府の代表権を認めるという趣旨であるから、日華平和条約を将来に向つて失効させたものではなく、中華民国政府に当初から締結の資格がなかつたものとして、その当初からの無効が宣言されたものであつて、条約が無効とされた以上、原告の国籍についても、条約締結前の原状にあるものと認めらるべきである。

第五証拠関係<省略>

理由

一  原告は、大正九年八月二〇日台湾で日本国民を両親として出生しいわゆる台湾戸籍に登載された者であるから、日本国籍を有する者であるとしてその確認を求め、これに対し被告は、対日平和条約ないし日華平和条約によつて台湾人は日本国籍を喪失したと主張する。

しかしながら、日本国が当時中国の正統政府と認めていた中華民国政府との間に締結され、有効に効力を発生した日華平和条約の第二条の規定により台湾等は日本国から中華民国に譲渡され、その結果、原告のように台湾戸籍に登載され台湾人としての法的地位をもつた人が昭和二七年八月五日同条約の発効により日本国籍を喪失したと解すべきことは最高裁判所昭和三七年一二月五日大法廷判決(刑集一六巻一二号一六六一頁)の示すとおりである。

二  原告は、国籍非強制の原則は確立した国際慣習法であり、国籍変更について同意を求めるか国籍選択の機会を付与しないかぎり国家は国民の国籍を変更することはできず、このことは世界人権宣言第一五条の規定の趣旨でもあり、更に少なくともわが国において締結した条約をわが国において解釈する場合、国籍選択制度を前提として解釈すべきであるから、原告の国籍が変更されることはないと主張する。

しかしながら、国籍非強制の原則あるいは国籍選択制度は現段階においてはまだ確立した国際慣習法とは認められないから、領土変更の場合に当該住民に必ず国籍変更の同意を求め、又は国籍選択の機会を付与しなければならないものではない。このことは日本国が締結した領土変更を伴う条約を解釈する場合においても変るところはなく、国籍変更について明文の規定のない領土変更を伴う条約の合理的な解釈により国籍変更を認めることが禁止されていると解することはできない。また、昭和二三年一二月一〇日国際連合第三回総会において採択された世界人権宣言第一五条第二項の規定は、「何人も、ほしいままにその国籍を奮われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」としているのであるが、この規定は、正当な理由なく国家がその主権の下にある国民の国籍を個別的に剥奪することが好ましくないことを宣言したに止まり、領土の割譲に伴う包括的な国籍変更についてまで言及し、それを禁止しているものとは解することができないのみならず、もともと世界人権宣言は各国に対して道義的な拘束力を有するにとどまり(同宣言前文参照)、法的拘束力を有するものとは解せられない。<証拠省略>中にはこれを反する見解が述べられているけれども、採用することはできない。

したがつて、原告の前記主張はその前提において失当といわねばならない。

三  原告は、日華平和条約は日中共同声明によつて失効したから原告の国籍も同条約締結前の原状に回復したと主張する。

しかしながら、昭和四七年九月二九日、日中共同声明が署名され、日本国において中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認し、その間に国交が樹立された結果、日華平和条約はその存続の基礎を失い終了するに至つたのであるが、右共同声明前は同条約は有効に存続していたのであつて、同条約第二条の台湾等に対する領土権の放棄に関する条項のように既に履行がされた効果までを遡及的に消滅させるものと解することは到底できない。したがつて、右共同声明は日華平和条約による台湾等に対する領土権の放棄及び領土権の移転に伴う台湾人の日本国籍の喪失については何ら影響を及ぼすものではなく、台湾人は日本国籍を失わなかつたことにはならないと解すべきである。

もつとも、前掲<証拠省略>には日中国交正常化に伴い日華平和条約は当初から無効であることが宣言されたから、台湾人の国籍についても右同条による法的影響は払拭され、同条約が締結されなかつた状態が復元する旨の見解が示されているけれども、日中共同声明により日華平和条約が当初から無効であると宣言されたものと解することのできないことは前示のとおりであるから、右の見解は採用できない。

なお、日中共同声明第三項が「日本国政府は、……ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」としていることからも、日本国と中華人民共和国との間の国交樹立により、台湾人としての法的地位をもつていた人が日本国籍を失わなかつたことになることはないことが明らかである。

四  以上のとおり、台湾人は日華平和条約の発効により日本国籍を喪失したものであるから、台湾人であるとして日本国籍を有することの確認を求める原告の請求は理由がなく、また日本国籍を有することを前提とする損害賠償の請求も理由がない。

よつて、原告の本訴各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三好達 時岡泰 山崎敏充)

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